1. ビルマの竪琴
東大教授などを歴任したドイツ文学者、竹山道雄氏が生涯で唯一記した小説です。1956年と1985年の2回にわたって映画化されておりまして、1956年版はアカデミー賞の外国映画賞にもノミネートされるなど評価の高い作品です。小説の方も毎日出版文化賞を得るなど、文学として高く評価されています。
確かに、小説としての技巧という意味では本職の小説家が書いたわけではないのだなぁと思わせられる面が多々ありますが、戦争のやりきれなさ、そして鎮魂にかける想いの描き方は出色であり、意外な視点と豊かな発想力には驚かされました。
2. あらすじ
舞台は戦時中のビルマ(現ミャンマー)、駐留する日本軍のなかに、少し変わった小隊があった。その小隊では音楽学校出身の隊長が隊員に歌を教え、隊員たちはよく合唱して士気を高めていた。
そんな隊員たちの中でもひときわ音楽に長けていたのが水島上等兵。彼はジャングルで獲れる材料を使って竪琴を作り、ビルマの伝統曲まで弾きこなしていた。水島上等兵は顔立ちもビルマ人に似ており、ビルマ人の格好をさせてビルマの曲を弾かせるといかにもビルマ人に見えるため、斥候として重宝されていたのだった。
そして終戦を迎え、水島たちの部隊は英軍の捕虜となる。水島たちは偶然、その英軍部隊から、近くの三角山で降伏を拒絶して徹底抗戦をしようとしている日本軍の部隊があるという話を聞く。説得を買って出る水島上等兵。必ず戻ってきて部隊に再合流すると約束して行くのだが、捕虜収容所で幾日待てど水島の消息は不明のままだった。
隊長以下、水島が心配で仕方がない一同。そんなある日、捕虜としての労働を終えた帰り、部隊は橋の上で水島によく似た僧侶とすれ違って......。
3. 感想
このやりきれなさ、そして、様々な形で「戦後」に情熱を注ごうとする感情たち。切なさと熱さが共存する小説でありながら、抑制的で平易な文章によってそれが表現されているのが素晴らしいですね。実は児童文学として書かれたらしく、いきいきとした兵士たちの生活描写や時おり見られる懇切丁寧な説明にはその影が表れるのですが、むしろ大人にこそ響く小説でしょう。あの水島によく似ている僧侶は本当に水島なのか、本当に水島なら、なぜ部隊に合流しようとせず、ビルマ僧として生きているのか。
戦友である水島に生きていて欲しい、あの僧侶が水島であって欲しいと強く願う気持ちと、もし、あの僧侶だとしたら、戦友に挨拶もせず、合流するというあの契りも果たさず、なぜのうのうとビルマ僧として生きているのか、水島は自分たちを裏切ったのか、共に日本へ帰りたくないのか。そんな感情の交錯の中で進んでいく物語は常に緊張感があり、頁をめくらせる力は非常に強いものです。
そんな二者(部隊と水島)を結び付けるのが、熱帯特有の、鮮やかな青色の鸚哥。捕虜として僧侶に話しかけるわけにはいかないという状況で隊長が編み出したのが、鸚哥に言葉を覚えさせて語りかけようというもの。「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」、近くにいるのに通じ合えず、それでも友情をなんとか確かめ合い、事情を知ろうとする姿には思わず感銘を受けます。
届きそうで届かない探り合い、水島の生死をめぐる隊員同士の諍い、それらを経て、ついに日本へ帰る日に届く水島からの手紙。そこに記されているストーリーもまた読みごたえがあります。
ただ、ここがこの小説の構成的な欠点でもあります。謎をばらまいておいて、最後は文庫本で20頁以上にわたる手紙が届いてそれで解決してしまうというのはやや拍子抜けでした。もちろん、そういった構成でこの物語の魅力が損なわれることはないのですが、現代の小説を読む立場からすると、例えば推理小説の最後20頁で真犯人が動機を延々と語るだけ、のような退屈さも感じてしまいます。手紙を呼んでいるあいだには他の登場人物の「動」がないわけであり、絡めた複線の紐解き方としては疾走感や迫真性が欠けております。途中、ふとつまらないなと思ってしまう瞬間があったのは多分にこういった構成の甘さが各所に見られるからです。どんなに要素が良い小説でも、繋げ方、見せ方で大きく変わってしまうもの。料理で言えば、要素は素材、表現が調理方法というわけです。
こういった欠点を考慮し、☆は3つです。ただ、要素としては☆4に迫るものがあり、素晴らしい小説だといえます。
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